6_13小林節松山大学講演会「安保法制(戦争法)と立憲主義」から

 この日の講演で、安保法制と立憲主義にかかわる論点をピックアップしてみたい。これを纏めるにあたり、たまたまネットのあるサイト「弁護士ドットコム NEWS」で保守タカ派の漫画家、小林よしのり氏の「自民党議員は『保守』ではなく『ネトウヨ』」安保法案・小林よしのり氏に聞く」という記事を見かけた。ここで述べられている内容は意外にも、同じ小林姓の小林節講演を理解するうえで役立つと思われるので、対応する文脈に注を付ける形で、小林よしのり氏の見解を付記させていただくことにする。

安保法制は紛れもなく戦争法

 日本国憲法第9条で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳われている、規定に反して、集団的自衛権を行使することを決めた安保法制は、同盟国とされるアメリカが攻撃を受けた時点で、これを「我が国の存立を脅かす危機」と見なされれば戦争当事国(米国)とともに他国の紛争に介入し武力を行使することを容認するための法である。安倍首相は、これは「後方支援であり武力による参戦ではない」と強弁しているが、戦争当事者の一方の側に、「武器、弾薬の供給、負傷兵の救護・・・」を行うことは、相手側から見れば明確な参戦行為であり、当然攻撃対象となることは目に見えている。そうした場合に武器の使用を認めるのだから、これは紛れもなく他国の戦争に参戦するための法、したがって戦争法注1)だと言わざるを得ない。

警察法で動く自衛隊を他国の軍隊と交戦させるのか?!

 軍隊であれば、「これはやってはいけない」と決められていること(例えば、民間人の殺害に関わってはいけない←国際法)以外には、相手をせん滅するためどんなことをやっても容認される。もし、違反があれば軍法会議にかけられることになる。しかし、日本の自衛隊は法律上、「自衛隊法=警察法」に基づいて行動するので、「やってもいいこと」だけが決められている。集団的自衛権を認めることは、そうした自衛隊を他国の軍隊と交戦させるということになる。これは、まず明らかに違憲行為注2)になる。それだけではなく、本来自国の防衛だけのために訓練された自衛隊員を無法状態に差し出すことになる。国民の命を他国の利益のために平気で差し出す首相がかつていただろうか!

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国際的な安全保障環境は?周辺危機は高まっているのか?

 ことあるごとに政府与党やそれに呼応したマスメディアから異様に強調される周辺事態の危機注3)について、まず「北朝鮮の脅威」は、元自衛隊幕僚長田母神氏も「独立国家として当然の権利を行使しているまでで、実験ごときで騒ぐ問題ではない」と言い放っていたが、小林氏の説でも、もし本気で北朝鮮が日本に核攻撃をかけるつもりなら、それを引き込む要因は北側ではなく、日本側にある。日本海側に集中する原発施設に狙いをつければかんたんに日本全土を焦土化できるが、そんなことをやるつもりもない。本気で北の脅威を考えているのなら、脱原発こそ急がなければならないはずなのに、脅威論者の誰もそうした現実的対応を口にしない。つまり、北の脅威論は、日本の再軍事化、集団的自衛権と称する他国の紛争への軍事的介入を正当化するための山車(ダシ)に使われているといえる。

 一方、中国脅威論はどうか。中国は近年、ベトナムとの紛争、インドとの紛争、台湾との紛争などを抱えてきたが、どれも侵出に成功していない。アメリカとの関係でいえば、お互い抜き差しならないほど経済的な依存関係にある両国が本気で戦を構える状況にはない。日本との関係で言えば、細かい紛争はあっても、戦争に発展するような脅威は存在していない。これも北朝鮮脅威論と同じ根がある。
 IS等テロによる脅威はどうか。日本は戦後、平和憲法の下、中東地域やイスラム圏でも好意的な関係を構築してきた。こうした信頼にひびを入れたのが、アメリカのイラク戦争への小泉首相のいち早い支持発言や、中東への米軍戦闘機への給油のための自衛艦隊派遣等、近年の一連の準軍事行動であったかもしれない。これらを背景に出現したISなどテロリストによって日本人ジャーナリストが人質になっている最中、敢えて米国のご機嫌取りとしか思えない軽率かつ刺激的発言で、この人質を救えなかった安倍首相や現政権に本気で日本国民を守る気概と英知があるのだろうか?
 テロが起きるにはその温床がある。「テロとの戦い」と称して、アメリカが国際法違反のイラク戦争を強行し、多くの民間人を殺害し、治安を一層悪化させたこと等が現在のテロリスト増加と凶悪化の種を蒔いてきたことを注視しなければならない。安保法制の施行によって、日本の自衛隊がさらに他国の戦闘に関与を深める度合いが強まる程度に応じて、自らテロの標的となる度合いを高めるのは疑いない。

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立憲主義:国民がオウナーで政府は雇われマダム

 憲法は、我々主権者が政府権力者に、その枠内で為政を行うよう委ねている制限である。いわば、政府は雇われマダムなのに、その雇われマダムがオウナーである主権者=国民の意向(憲法)を無視して勝手なことをやり始めたら、それを阻止しなければならない。あるいは首を挿げ替えるのは当然のことなのである。
明治憲法との違いで言うと、
明治憲法:主権者、オウナーは天皇家ファミリーのみ、国民はそのファミリーの臣民(家臣)にすぎないという位置づけ。
昭和憲法:主権者:国民全員がそれぞれ一株株主のようなもの、天皇家はゼロ株株主に。
現憲法では、主権者の国民が、自ら選んだ政府が国民の定めたルールの枠内で行動するという原則を逸脱してしまった現在、これを放置すると立憲主義が壊されてしまう注4)。その行く末はドイツのナチスや戦前の日本のような暴走を許すことになってしまう。それはいけないのではないか。

(文責:HP担当M.,T 後日、追加補正の予定です)